『驚きの介護民俗学』から頂く やわらかな越境

住宅設計に携わる者としては、医療や介護の在宅化が進みつつある社会情勢のなか、介護ストレスを軽減できるより一層の工夫が住まいに求められ、自分もいつかは要介護という心情も合わせて、住宅を「心の問題」からも捉え直す時期に来ているのではと感じています。

インターネットから、民俗研究者で介護職員でもある六車由実さんが書かれた『驚きの介護民俗学』についてのコメントを見つけ興味が湧き、注文。読み終えて、ふと、六車さんのやっている「聞き書き」の仮想体験を試みることにしました。
※六車さんの言う「聞き書き」は、あらかじめテーマを持たず、関係に「敬意」を持ち、非対称性(優劣)が生じないものとしています。

■ 「聞き書き」の仮想体験

仮想体験とは言っても、ほほ寝たきりの高齢者(女性)の家族から住宅改修相談があった際に聞いた四方山話を「聞き書き」らしくまとめてみるというものです。































































亡くなる7日前の美樹子さん 200X年6月

高峰美樹子(仮名)さん 昭和10年、東北の某中核都市駅前の大きな料理店に長女として生まれました。当時市内で一番豪華な雛人形を注文して祝うような裕福な家庭に育ち、お姫様扱いであったそうです。しかし戦争により環境は一変。優しかった兄は戦死し、店家は空襲で全焼。まもなくして病弱であった母親が亡くなり、頼りは父のみになりました。父親は再婚し、3人の兄弟が生まれるも継母との関係は好ましいものではなく、実父とも距離が離れ、孤独を感じ家出を繰り返すなど素行も悪くなりました。そんな美樹子さんは縁あって工業化学の技術者と結婚し、子ども時分の境遇もあり明るく賑やかな家庭を夢見ていました。3人の息子に恵まれ、さぞ幸せだろうと思うのですが、ご主人はもともと子どもが好きではなく逆に望まなかったそうです。3人目が生まれた当時、仕事の忙しさも相まって子どもを可愛がることは殆どなく、美樹子さんには過去のトラウマがよみがえりました。このことが原因でアルコールに溺れるようになり、3人の息子のうち、中学生になった上2人はいたたまれず家に寄りつかなくなり、小学生の末っ子さんを相手にくだを巻くようになりました。その後、不摂生が祟ったのか、美樹子さんは40歳で乳がんを患い片胸全摘出。このとき、女性としての悲しみを強く感じたそうです。これ以来、頚椎神経症、子宮筋腫など病を患うことが多くなりました。そして、私が住宅改修の相談を受けた1月後、肺癌が見つかり入院、しばらくして亡くなりました。

美樹子さんから聞いた話で印象深い(驚き)ものをふたつほど

 1.美樹子さんのアルコール依存をなくそうと努力する息子さんの話

 末っ子さんが小学校高学年から中学生の頃が最もアルコール依存が強かった時期だったそうです。見守り役の末っ子さんが心配して様々な策を講じ、是が非でも昔の優しい母親に戻って欲しいと思い、ビール自体をなんとかすればと考えたようです。ビールしか飲まない美樹子さんは当時、瓶ビール一日2本までと決めていても、常に6~7本は空けていました。末っ子さんはビールが不味くなれば飲むのを諦めるだろうと、酒屋から配達たさればかりで台所の床下に置かれた2ケースすべての瓶の栓を外れない程度にうっすら開け、気を抜いていたことがが度々あったそうです。そんな時、悪いとわかっていても自ら近所の自販機へ缶ビールを買いに行ったと言います。稚拙なイタズラのような行為ですが、末っ子さんが自身でできる健気な最善の策だったのではないでしょうか。

2.飼っていたペットの話

生き物や植物が好きな美樹子さんは、飼っていた様々なペットの話を楽しそうに話してくれました。なかでも、今ではあまり見かけなくなったカナリアと九官鳥の話が実に面白く、ディテールまで聞くことができました。

鳴き声や色形の良いカナリアを交配繁殖させる際には必ず「庭箱」と呼ばれる特殊なケージを使うと言います。なんでも親鳥が落ち着いて産・抱卵ができるものらしいです。また、料亭っぽく和風であるとも言うので、帰って調べると障子や丸窓があったり、和箪笥のようでなんとも不思議なものでした。また抱いている卵が有精卵なのか見分ける方法を身振り手振りで教えてくれました。

九官鳥へ覚えさせた掛け合い言葉のなかに、九官鳥が「お父さんは?」と問うと、美樹子さんが「お父さん(会社)かいしゃよー」返す、そして九官鳥が「かいしゃかぁーい」と復唱するというものがありました。もしかしたら、九官鳥を介してご主人に何かメッセージを伝えたかったのではと思えます。

このようにまとめてみると、聞いた当時には単なる断片的な話しに過ぎなかったものが、多少の思い込みを含んでいるにしても、美樹子さんの人生の奥行きが表れた感じがします。当時、住宅改修の打合せを3回程しましたが、その後の美樹子さんの容態の変化により住宅改修は実現しませんでした。もし、この「聞き書き」のまとめをしたうえで改修検討をしていたら、柔軟で多様なアイデアが湧いていたと思います。

■ 設計者(建築士)の「聞き書き」活用

高齢・介護対象者関連の住宅における設計者の役割を簡単に言うと、対象者の「自立」及び「介護」が合理的に行える空間を提案し、つくることです。

バリアフリー改修関連の相談があると、設計者は相談者の住まいに伺い、食事、更衣、移動、排泄、入浴などが身体的に自立(+介護)して行えるとするADL(日常生活動作)の程度を確認します。その後、ADLレベルを向上させるための処方を考えて提案することになります。残念ながらADL評価に感情的側面がないので「聞き書き」はほとんど役立ちません。つまり教科書そのままに計画するだけでもADLレベルは上がります。

 しかし、ADLを内包するうえに物心両面からの幸福感を示す指標としてQOL(生活の質)というものがあり、人とのコミュニケーションなど感情的な関与も重要になる性質を持っています。「ハード」及び「ソフト」両方の視点で見るという「住まう」行為にはあたり前と言えばあたり前です。ならば、このQOLの満足度を上げるために設計者として「聞き書き」を活用すべきでしょう。ただし、「聞き書き」の条件を緩和する必要があります。「自立」及び「介護」が合理的に行える空間づくりが本来の目的なので、テーマを持たざるをえません。予めテーマを持たない「聞き書き」を「聞き書き」風にするということです。具体的には、テーマから脱線しても遮らず、驚きや発見があれば柔軟に興味の赴くままやり取りをすることでしょうか。

こうして行った「聞き書き」風のまとめは、設計アイデアに対してヒントを与えてくれるうえ、依頼者との信頼関係をも深めてくれるはずです。
 

■ 住宅(再生)設計に求められる やわらかな越境  


六車さんは著書のなかで、ある(介護)利用者が話す昔話しに圧倒され涙し、エネルギーを得る体験をした後、こう書いています。「それ(体験)が高齢 者のケアをする介護職員としての正しいあり方なのかどうかは自信がない。また 冷静に事実を見極め、それを資料として積み重ねていかなければならない民族研究者としては失格なのかもしれない。けれど、利用者とのそうした一つひとつの 関わりが、介護職員と利用者との関係を、そしてこれまで本書で述べてきた介護民俗学を実践しようとする民族研究者と利用者との関係をも、さらに超越してい く。そんな可能性を秘めていると私は確信しているのだ。」

私流にくみ取ると、現在行われている介護の疑問を解くかぎは、介護の「堅苦しさ」と民族研究の「冷たさ」を乗り越えたところにあり、その先には幸福(感)がある。のだと言っていると感じます。

住生活環境の分野ではヘルスプロモーションという概念のもと、心身の健康維持・増進を目的に活動を続けてきた健康維持増進住宅研究委員会が、今年の1月に一定の成果として「健康に暮らす住まい9つのキーワード」というガイドブックを発行した。10年前には想像もできないことで、もっと認知されるべきです。特に設計者は参考書として必携で、このガイドブックから合理と思われる部分を設計案件へ利用するのが有効な使い方であると思います。

WHO(世界保健機関)は「健康」を単に疾病・病弱が存在しないことだけではなく、完全な肉体的、精神的、社会的福祉の状態であると定義しています。

私は住宅業界に残った最後の課題が「健康」であると思っています。また、研究者は住生活環境の質の向上には「健康」をテーマにするしかないと考えていると思います。

その拠り所となる想像話をしてみましょう。今ほど省エネが叫ばれていないとき、研究者たちは「健康」的な暮らしには建築的断熱性能を上げることが肝要と考えていました。CO2やエネルギー問題などを抱える社会情勢により、まずは「省エネ」を訴えたのだと思います。しかし、バブル後とは言え、経済的にはゆとりがあるというイメージと多様で高性能な冷暖房機器の普及にかき消されてしまったようです。そこで思案した研究者たちは新たに「快適」をテーマにあげました。不快を感じさせない明るい暮らしという感じでしょうか。ところが、世間に広まった「快適」は住宅の断熱性能によるものではなく、オシャレ・カッコイイ・ステキなどのイメージから得る充足感に差し替わってしまいました。苦々しく思った研究者たちは、「健康」という直球の決め球をまさに今投げたところです。

2012年の現在、少子化、人口減少、超高齢化、社会福祉破綻、エネルギー計画、低経済成長、これらの問題から住まいづくりは逃げられない時代になりました。
WHOの定義する「健康」を扱うには、従来の住宅設計スタイルでは力不足です。また、建築とは直接関係のない医療、介護、情報通信など他分野との連携・関与が必要になることから横断的な行動が求められます。

3.11後 1年経過  材料と道具と機会は揃った感じがします。

我々設計者は、ルールにとらわれないやわらかな発想で、住まいの本質を見つめなおすために、そこで暮らすひとのために、立場の越境を試みるときが来たことを認識すべきでしょう。

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